大阪・天満宮の鳥居前に行列が出現しました。9月15日にオープンした上方落語の定席「天満天神繁昌亭」(大阪北区天神橋2-1-34)の入口につながっている。繁昌亭の建設蛎業は、「落語の小屋を再興したい」という上方落語協会(桂三枝会長)と天神橋筋商店街の願いの元に始まった。建設費の約1億8千万円は三枝会長や商店街関係者が市民や企業に浄財を募って集め、敷地は大阪天満宮が無償提供。行政の補助を受けず民間による独力の文化施設の建設には粁余曲折があった。その設計内容と苦労を設計者に聞きました。
「人力車を引く親父が宙に浮き、客が後ろにのけぞった・・・」と、落語家がひざを立てて熱演。笑いの波がどっとホールに響く。天井を覆う約1200個の白い提灯が反射光で柔らかく灯り、会場全体をはんなりとした雰囲気に包む。天神祭のクライマックス、船渡御をイメージして設計されたという「天満天神繁昌亭」は、確かに観客をどこか華やいだお祭り気分にさせてくれます。
外観で目を引くのは、かつての小屋を踏襲した瓦屋根、軒下の提灯340個、そして「じゅらく色」の壁。栗色に近いベージュの土壁は、敷地の地下1mから採掘された砂に色を合わせものです。大阪が海だった太鼓の時代のものを用いたとのことです。
ホール内の舞台は吉野ヒノキ。舞台をきらびやかに覆う緞帳は、大阪の画家・生田花朝が描いた船渡御。原画は天満宮に所蔵されている。
設計者は狩野忠正氏。最も苦労したのは、「終始、建設資金をどうするか」だったとそうです。募金が開始されたのは04年の2月、しかし、一年経っても、予定の3割しか集まりませんでした。当初は思い余って、客席60席の仮説小屋の図面を描き、『5年間、仮設で運営を続けて資金を集めてはどうでしょうか?』と提案してみました。しかし落語協会と商店街側の強い希望もあって、繁昌亭の建設を進めることになりました。
コストを削るため、設計変更も度重なりました。日本庭園はテナント店舗に変わり、桟敷から座席へと改めました。一方で、資金不足が多くの人を動かすことになりました。舞台や床の材料からカーペット、飾りの人力車にいたるまで、企業や個人の寄付で、建材や設備が集まったのだ。その協力者の名前は今、繁昌亭全体の提灯に記されています。
狩野さんは振り返ります。「地元の設計者である私に、落語協会と商店街が設計依頼をしたのは、2003年に開催した天神橋商店街主催の街づくりフォーラムがきっかけかもしれません。そのときバネリストの私は文化を軸にしなければ、この商店街は衰退の一途をたどると警鐘を鳴らしたのです。」
日本一長い商店街に、やっと一つ文化施設ができました。後は繁昌亭を盛り立て、地域一帯を活性化させる努力が必要です。そこで提案したのです。整理券を配って観客を行列させるのではなく、待ち時間を商店街ですごしてももらうべきなのです。